前略、
世界の文字の中にはいろいろな独特の数字を表すシステムがあります。
数字を表すために独特の文字を持つところ(日本の漢数字がそうです)もあれば、既存の文字に数字を当てはめるという方法(ローマ数字がその方式のひとつです)を採るところもあります。
しかし、これらの独自方式はそれほど機能的でなかったのと「0」を表すことができなかったため、ほとんどの地域でアラビア数字が使われるようになりました(日本のように独自方式と併用しているところもあります)。
アラブ世界に行ったことのある人なら知っていると思いますが、そこで使われているアラビア数字は、我々の使用しているアラビア数字とは違うものです。現在、我々が使っているアラビア数字はアラブからヨーロッパに伝わったあとに変化したものなので、痕跡は残ってはいるもののアラブのアラビア数字とはかなり違っています。
このアラブのアラビア数字も実はアラブで作られたものではありません。アラブ人が数字交じりの文を書いているところを見てみれば、その数字のシステムがその土地で生まれたものではないことがよく分かります。
ご存じの通り、アラビア語は右から左に書きますが、数字のところに来ると彼らは少し空白をあけて数字だけを左から右へと書くのです(我々の数字と同じように一番右が一の桁)。この数字のシステムがよそから来たことは明かです。
実はアラブのアラビア数字、そしてもちろん我々の使っているアラビア数字も、発明されたのはインドなのです。アラブでは彼らのアラビア数字のことを「インドの数字」と呼んでいるそうです。
草々
追伸、
最近、旅したミャンマーでは独自のミャンマー数字が使われていました。
地元の人々は普通のアラビア数字も理解しますが、一般に使用するのは独自の数字で市バスなどにもミャンマー数字しか使われていないので覚えておかないとちょっとやっかいです。
アラビア数字との見かけの相関も若干見られるのでお隣のインドからやって来たものと思われます。
[写真はミャンマーの列車内、座席にミャンマー数字(18)が書いてある]
アイフォンのメールやマップ、ノートのソフトを入れるためだけだったら、危険を冒してまでジェイルブレイクする気にはならないという人をその気にさせるキラーコンテンツは…。ゲームなんかどうだろう。
ゲームもウェブブラウザーで遊べるサイトがすでにかなりたくさんあるが、当然インターネット接続必須である。[Apple – Web apps – Games・games – appSafari.com]
ジェイルブレイクするとオフラインでも楽しめるゲームのアプリケーションソフトがインストール可能で種類もいろいろある。テトリスやら数独やら単体のゲームソフトもいろいろあるのだが、やはりキラーコンテンツというならゲームエミュレーターだろう。
現在、アイポッド・タッチで動く代表的なゲームエミュレーターは二つ。ファミコン(iphonenes)とゲームボーイアドバンス(gpSPhone)。これらのエミュレーターソフトとゲームソフトのデータをアイポッド・タッチにインストールすると、「ドラゴンクエスト」「マザー」「マリオ」「ゼルダ」「逆転裁判」などがプレイできる。
操作がタッチパネルによるものなので、ボタンを触覚で操作できず、アクションゲームはかなり難しいが、ロールプレイングゲームなど素早い操作が不要なものなら十分楽しめる。
ただし、ゲームエミュレーターを導入すると保証外のジェイルブレイクの危険に加えて、著作権法的な危険も少々加わる可能性があります(エミュレーター自体は合法ですが)。
アイポッド・タッチのメールでワードプレスで作られたこのウェブログに投稿するテストをやってみた。
アイポッド・タッチを持ち出して、出先からウェブログが更新できたらいいなと思ったのだ。
わざわざメールで投稿するテストをしたのはなぜか。
もちろんアイポッド・タッチのウェブブラウザーからワードプレスの管理画面にアクセスして投稿することはできる。アイポッド・タッチに最適化された管理画面にするプラグイン(WPhone)もはいっている。
でもそれだと無線LANにつながっているときじゃないと記事が書けないのだ。今考えているのは暇があるときに無線LANがないところでもちょこちょこ書き足していって、無線LANのあるところで投稿、というかんじなので、ブラウザー経由ではうまくいきそうにないのだ。
そこでアイポッド・タッチのメモ(Notes)で書いていくことにした。
ここでアイポッド・タッチにコピー・アンド・ペースト機能さえあれば、無線LANのあるところで投稿フォームにコピー・アンド・ペーストすればいいのだが、残念ながらまだない(アイフォンOS 2.0ベータにもまだないようだ)。
そこでメール投稿が必要になってくる。メモには書いたものをメールで送る機能がついているのでワードプレスがメール投稿を受け付けてくれればなんとかなる。
ワードプレスにはもともとメール投稿の機能が付いていたが、まだ一度も試していなかった。試してみたら見事に文字化けした。当然文字コードの問題なので、いろいろ調べてみてよく分からないPHPをいじくろうかと思ったが、面倒なので日本語メール向けのプラグインはないのか探してみた。
あるね。wp-shot。
日本の携帯電話のメールによる投稿を可能にするワードプレスプラグイン。もちろんケータイ以外のメールにも対応している。メールに添付した画像もウェブログに表示(でかい画像はサムネイルにも)できる。
で、昨日付けの記事でテスト投稿をいくつかしてみた。
うまくいった(うまくいかなかったのは削除した)。
ただ(修正してしまったが、)本文24字目の後に半角のスペースがはいってしまっていた。これはなんのせいだろう。アイポッド・タッチ? メールサーヴァー? プラグイン? まあこのくらいは投稿した後にブラウザーの管理画面からアクセスして修正すればよいかな。
画像添付もうまくいったが、アイポッド・タッチにはカメラが付いていないので、添付できるのはあらかじめ取り込んだ写真か、スクリーンショットくらいかな。テスト投稿したみたいにグーグルマップのスクリーンショットを添付すれば現在地を知らせるのにはいいかも。
カメラ付きアイポッド・タッチが出てくれればうれしいな。
前略、
スカイプ始めました。準備は万端です。でもスカイプ仲間が少なく、仕事の関係などでなかなか同時にオンラインになりません。かといって「Skype Me」で世界中の不特定多数の人からの電話を受け入れる根性もありません。
本日、やっと通話できました。音声クリアですね。通話相手はぼくの声がちょっと小さいと言っていました。相手方はノートパソコンで、音声入力は外付けのマイク、出力は本体スピーカーということだったためか、ときどき自分の声が少し遅れて聞こえてきました。
通話機がUSB接続の受話器型だから、気分も電話しているのと全く変わりません。
パソコン同士の通話に成功したから、次はアレに挑戦したいな。
草々
[ファイル転送編につづく]
なくていいもの。
・カラオケ
・コンビニエンス・ストア
・パチンコ
・マンガ喫茶
・電話
・一眼レフを買ったのに、フルオートでしか撮らず、モニターで見るか、せいぜいはがき大にしかプリントしない人
6月14日(水)晴れ
このルートの本州最高地点(といっても標高500メートル足らず)を過ぎ、一戸町、二戸市を通り、三戸町からは青森県に入る。この日は逆風が強く、1.5倍はエネルギーを消耗している感じ。少しくらいの下り坂ではこがないと全く下りてくれない。
国道といえども田舎道で食べるところもたいしてない。その日はそんな予感はしていたので朝から飯を炊いて食いだめして、キャンプ地と食事をするところを求めて逆風の中だらだらと前に進む。結局、八戸市まできてしまう。
食事をして、銭湯へ行き、キャンプ地を探す。馬淵川の川原におあつらえ向きの野球グラウンドをみつけ、レフトの外野の芝生にテントを張った。
(96.48km/6h23m・計1092.6km)
前略、
『 スマート・プレイリストで「曲をシャッフル」』の項などでiPodのライヴ・アップデイトの振る舞いについて書きました(ヴァージョン2.2のiPodでのことなので、ほかのヴァージョンの場合は違っているかもしれません)。
iPodのライヴ・アップデイトは、iTunesのように曲の終わった瞬間ではなく、プレイリストから出た時にかかる。
曲の「分類(grouping)」を使ったスマート・プレイリストはiPodではライヴ・アップデイトで更新されない。
これに追加情報です。
スマート・プレイリストを作る条件に、ほかのスマート・プレイリストを使っていた場合、リストはiPod内では更新されないようです。
スマート・プレイリストはすべての条件に合致するものか、いずれかの条件に合致するもののどちらかしか選べないので、この両方の条件を使いたい時はス マート・プレイリストで別のスマート・プレイリストを条件に選べばよいのですが、この場合はライヴ・アップデイトがきかないということになります。
草々
前略、
簡単にメーラー履歴を書くと(すべてマッキントッシュ版です)、
最初はクラリスメール Lite 。2000年問題の前に1999年問題があった(1999年からヘッダーの日付がおかしくなった)けど、結構気に入って問題があったあともしつこく使っていた。
その後、Outlook Express をしばらく使ったが、すべてのメールをなくすという事故が2回起こって見捨てた。またクラリスメールに戻った後、Arenaに落ち着いた。
Arenaは使い勝手がよく、シンプルでありながら、ほしいなと思う機能がきっちり付いていて金を払う価値のあるメーラーだった。
で もOS X版が出てしばらくして、開発終了してしまった。現行のOSでもちゃんと動いてくれるのだが、ノートン・アンチウィルスとぶつかって送信が時々おかしくな る問題があったり、HTMLメールをウェブブラウザーを開かないと見れないことや、添付した写真もインラインでは見れないので、ここ最近はことあるごとにメールの乗り換えを考えるようになった。
実際、乗り換えも何度か試みたのだが、その度に「やっぱりArenaがいいや」と戻っていた。最近のメーラーは重いのだ。マシンがG4 Cube(450MHz)なのでアップルのMail.appなんか重くて使えたもんじゃないのだ。使い勝手もイマイチだ。
ネットスケープ直系、モジラのThunderbirdにもプレヴュー・ヴァージョンのころ何度か乗り換えを試みていた。Mail.appよりはややよかったものの、やはり使いにくくCubeには 重すぎて断念していた。
ウェブ・ブラウザは早めにFirefoxに移行していたので、正式版が出た Thunderbirdをもう一度試してみたらかなり軽くなり、使い勝手もよくなっていたのでもう一度乗り換えを試みることにした。
メー ラーの乗り換えがブラウザーの乗り換えよりうまくいかないのは、移行項目の多さと困難さのためだ。ウェブ・ブラウザーの移行項目といったらブックマークくらいで一から作り直してもたいしたことないが、過去のメールをすべて移行するのはなかなか大変だ。ましてやArenaのような日本だけで使われている メーラーからだと簡単にはインポートさせてはくれない。
ArenaのメールボックスはEudora互換だというので、ThunderbirdのEudoraからのインポートツールが使えるかと思ったが、全くだめだった。
日本語版のThunerbirdサイトにはArenaからの移行方法 が 載っており、それによるとEudoraに読み込ませてから、Thunderbirdに移行するとなっているが、今回やってみた限り ではEudoraには問題なく移行できるが、そこからThunderbirdにいくとすべて文字化けしてだめだった(Arena 2.2.1→Eudora 6→ Thunderbird 1.0)。
結局、移行に成功したのはEudoraではなく、Mail.appをあいだにはさむ方法。
まず ARENA 2 Mail を使って、ArenaのメールボックスをMail.appのメールボックスに変換して読み込ませる。Mail.appから Thunderbirdへはサイトに載っている移行方 法で移行する(xxxx.mboxというパッケージの中の”mbox”というファイルをコピーして名前を書き換えて Thunderbirdのメールフォルダーに入れる)。
一部日付がおかしくなったメール(1919年や2025年になってしまった)があったが、これは1999年問題のあったクラリスメール Lite時代のメールやウェブメールを転送したものだったので、純粋にArenaからThunderbirdへの移行はこの方法でうまくいくのではないだ ろうか。
草々
追伸、ひょっとしたらMail.appをはさまなくても、ARENA 2 Mailで変換したものをThunderbirdに読み込ませても大丈夫かも知れないなと思い始めています。でも、もうこちらでは移行終了しているので試さないと思います。どうぞ試してみてください。
6月2日(金)晴れ
しばらく走って九十九里浜に入る。最初のうちは自転車専用道があったが、道の続き具合の分かりにくい不親切な道で何度も道からはずれてしまった。それでも車を気にしないで走れるのはらくちん。
昼食にお寿司屋さんに入って自転車旅行中であることを話したら、板前さんが若いころ競輪の選手をめざしていたということで話が弾み、定食を大盛サービスしてくれた。
九十九里浜中ほどの人がだれもいないゴーストタウンの遊園地のような蓮沼海浜公園にトイレがあったので、そこから防風林を抜けたところの海岸でテントを張る。
(70.43km/4h50m・計314.0km)
前略、
エジプトのシナイ半島にあるヌエバから船に乗り、ヨルダンのアカバに到着。
入国をすまして町まで来た時には すでに暗くなっていた。ホテルを探して部屋が空いているか訊ねると、高い部屋しか空いていないという。しばらく交渉していると屋上になら安くで泊まれるという。もう後は寝るだけだし、アカバには特に見るものもないようなので、次の朝にはすぐ出発することにして屋上に泊まった。
屋上に泊まるといっても部屋があるわけではなく、ただ屋上にベッドがいくつかあって、そこの吹きさらしの空の下で寝るのである。このあたりは昼間はとても暑いが、湿度が低いので日が暮れると涼しく、朝方は寒いくらいなので、昼間の熱のこもった階下の部屋より過ごしやすい場合もある。雨に降られる心配もほとんどなく、宿の規制も甘いのでこのあたりの国ではこの方式を取る安宿も多い。それまであまりに無防備な感じがするので屋上に泊まったことはなかったが、たまには満天の星空を見ながら眠るのも悪くなかった。
翌日の早朝、町に鳴り響く大きな音で目が覚めた。アザーンである。
イスラム教徒には、最小限度しなければならない「六信五行」という、6つの信じることと5つの実行することがある。
六信とは「アラー」「天使」「経典」「預言者」「来世」「宿命」を信じることで、五行とは「信仰告白」「断食」「喜捨」「巡礼」「礼拝」を実行することである。
彼らは1日に5回、夜明け、正午、午後、日没、夜中にメッカの方向(キブラ)に向かって、特有の立ち上がったり額を地面につけて平伏したりを繰り返す「礼拝」をしなければならない。
キブラはモスク(イスラム寺院)があれば壁にミフラーブという壁の窪みがあり、それがキブラを示している。なければ自分のいる場所と方位から見当をつけてだいたいの方向を向いているようだが、最近は便利なハイテクグッズもある。
その礼拝の時間を知らせるためにモスクのミナレット(尖塔)から出される合図がアザーンである。アザーンは最初に「アラーフ・アクバル(神は偉大である)」と4度繰り返すなど決まった言葉を詠唱する。昔は人が塔に登って地声で詠唱したそうだが、今ではほとんどのところがミナレットに付けたスピーカーによって放送している。詠唱は1回ごとに生でするのが基本らしいが、中にはテープのところもあるようだ。
街の中に突然、いくつものモスクからほぼ同時に流れ出すアザーンのしらべは、イスラム圏のエキゾチックな雰囲気を醸し出す重要な要因で、同じアラビア語の言葉を詠唱していても国によって、またモスクによって、さらには生で詠唱するために1回ごとにも少しずつ節まわしが違ったりしていて興味深く、同じところに長く滞在している時などは、今回のアザーンは気合いが入ってるなとか、今日のアザーンは声が違う、いつもの人は休みなのだろうかなどと考えたりもするようになる。
それでも1日に5回、毎日聞かされてると、異教徒にとってははっきりいってうるさい。問題なのは1回目のアザーンで、夜明けというとことになっている1回目のアザーンは、夏なら5時前になることもあり、早朝だろうと何のお構いもなしに最大音量でアザーンは流される。エジプトのハルガダでは宿の近くにモスクがあったから、毎朝、必ず5時前に起こされていた。
他の五行の「断食」とは、イスラム歴(ヒジュラ歴)の第9の月であるラマダンの月の1ヵ月間、太陽が出ている間は断食をしなければならないというもの。転じて旅人は断食のことをラマダンと呼んだりする。
イスラム歴というのはメッカで迫害されたマホメットがヤスリブに移住した年(西暦622年)を元年とする月の満ち欠けを元にした太陰暦で、1年が354日(30年に11回ある閏年は355日)なので、暦と季節とは毎年少しずつずれてくる。ラマダンの月が夏にあたるようになると陽が長くなるので彼らの苦労もひとしおであろう。緯度の高いところへ行くとさらに陽が長くなったりするのだが、全能の神様はそのあたりをどうお考えになっていたのだろう。
実は旅人もこの月にイスラム圏を旅すると苦労させられる。異教徒はもちろん断食に付き合うことはないのだが、昼間は食堂や食料品店が一切閉まってしまうし、断食している人の前で食事することははばかられるので付き合わされることになる。
「喜捨」とは富める者が自発的に貧しいものに分け与えること。
「巡礼」はメッカのカーバ神殿に巡礼すること。第12の月である巡礼月の7日から10日にするのが最もがよいとされている。巡礼を済ませた人をハッジと呼ぶ。
朝早く目が覚めてしまったので、そのままアカバを出発した。
草々
前略、
バルト三国には独立の頃から注目していた。旅人は新しく独立した国や個人旅行が解放された国などがあると行ってみたくなるものなのである。
今回も東欧に行くと決めた時、できればバルト三国に寄りたいと思ったのだが、カナダを出た時点では計画は全く具体的ではなくほとんどあきらめていた状態だった。問題は情報の少なさで、カナダを出発する直前にでたガイドブックにやっと少し情報が載り始めたというところだった。
多少情報が少なくても、治安さえ問題なければ、だいたいはなんとかなるものなのだが、今回、ぼくはほとんど必要最小限と思われる資金しか持ってきていなかったので、不必要な浪費は押さえなければならなかった。バルト三国の物価が安いであろうということは容易に推定できたが、国によってはいくら一般の物価が安くても、すべてのものが安いとは限らず大きな出費がかさむことがある。
その代表的なものが宿泊費で、特に共産圏では外貨を稼ぐため、旅行者に国営のデラックスなホテル以外には泊まらせなかったり、そこまでいかなくても一般市民が使う安宿には泊まれなかったりする場合が多い。宿泊施設自体も少なくて、ドミトリー形式などという薄利多売の資本主義的なシステムがほとんどないため、宿代が結構掛かってしまう場合が多いのである。
前回の旅では、中国からバルト三国も所属していてまだ崩壊していなかったソビエト連邦をシベリア横断急行で通り、フィンランドに入った。ソ連ではイルクーツクとモスクワのホテルに1泊ずつしただけ(あとは寝台列車泊)だったが、それぞれ1泊が約70ドルと140ドルの高級ホテルを予約して日本で前払いする必要があった(当時のレートは約135円)。これらはソ連の一般市民の月給より多かっただろう。
ホテルだけではなく、ソ連では国内旅行のすべての予定を出発前に決めて、すべての宿泊と移動(列車、飛行機)の予約をして、料金を前払いしないと入国査証が出ないシステムになっていた(トランジット・ヴィザの場合は予約しなくても出る)。
その後、バルト三国は独立してこのソ連式の査証システムがなくなったことは分かっていたが、安宿がある可能性はまだ低かったのでバルト行きはほとんどあきらめていた。しかし、ポーランドのワルシャワまで来て少しずつ情報が入り始めた。
ワルシャワのユース・ホステルに着くと、これからバルト三国へ行くという白人の女の子がいた。彼女に聞いてワルシャワにリトアニア大使館のあることや、首都のビリニュス行きの長距離バスがあることを知った。でも、彼女は安宿の情報は知らなかった。
ユース・ホステルの掲示板を見ると、リトアニア大使館の住所に加えて、日本人は査証を無料で取れるという日本人のメッセージとバルト三国はそのうちの一ヵ国の査証ですべてに通用することなどが書かれていた。
それらの情報を得た次の日、宿の情報は相変わらずなかったが、とりあえず大使館に行き査証を申請し、バスのスケジュールや料金も聞きにいった。この時点ではまだ行くとは決めてなかったが、査証は無料なので行けなくても記念になるだろうと思ったのだ。
その次の日、ついにユース・ホステルにバルト帰りの旅人が別々に二人もやってきた。彼らが苦労して探した安宿などの情報を教えてもらい、バルト行きはついに決まった。
つづく
アイフォン(正式名称:アイフォーン)OS 2.0をアイポッド・タッチに入れた。
新しいケータイ風日本語入力はケータイ電話を使わない人間にはビミョー。日本語入力のQWERTYキーボードも大きくなって使いやすくなったし、多分使わない。英語入力のときとの見分けがつきにくくなったけど。
そのかわり中国語の手書き入力が使えるかも。
設定のキーボードで日本の漢字に近い中国語の繁体字手書き入力を選ぶと出てくる。
手書きすると、漢字の候補が出てくる。タップして選ぶと入力され、次に入力されると連想される漢字の候補が出てくる。「中」と入れると「心央國華」と候補が出てきた。「華」を選ぶと「民隊路」、「民」を選ぶと「國」が候補に。
「中華民國」
う〜ん、繁体字は台湾(中華民国)で使われている漢字だから当然といえば当然だけど、中国大陸でも売るつもりなら、ないことになっているバーチャルな国名が出てくるのははまずくないか。
それはともかく、フォントも日本語の漢字と変わらないし、まぜて書いても違和感はない。というか中国語入力しても日本語にある漢字だと日本語のフォントで表示されているのかも。
当然だが、漢字以外のひらがな、カタカナはだめ。日本だけある漢字「峠」とかもやはりだめ。
問題はこの手書き入力を使う機会はあるかということなのだが、読みがわかっているなら普通に日本語入力したほうが早い。読みがわからない漢字だったら手書き入力はありかな。
関ヶ原を越えているころだったかな。こんなラーメン屋をみつけて驚いた。
元ベトコンの人がやっているにしては看板の手書きの字はうまいし、店名は和風だし。おでんもやってる。だいたい南ベトナム解放民族戦線の人は自らベトコンとは名乗らないんじゃないか。
気は引かれたが、ちょっと恐いし、開いてないようだったしスルーした。
うちに戻ってから調べたらベトコンラーメンは東海地区ではそこそこあるラーメンらしい。
ベトナム人がやっているのではないらしい。
「ベストコンディション」を略してベトコンらしい。「ベスコン」ではないんだ。
ベトコンラーメン – Wikipedia
アイオーエス4がでた。
アイポッド・タッチにも無料でアップデイトできる。
でも初代アイポッド・タッチなので蚊帳の外。
そして初代アイポッド・タッチが壊れた。
なんてことだ。アップルはソニーのタイマー技術をライセンスしているのか。
どこが壊れたかというと、ボタン。
デザイン的に最も美しい初代アイポッド・タッチはハードウェアのボタンが二つだけ付いている。電源/ロックボタンとホームボタンだ。
そのうちのホームボタンが先日、押し込まれたまま戻らなくなってしまった。
アプリケイションを起動してもホーム画面に戻れない。
アイコンの再配置ぶるぶるモードにしても元に戻せない。
う〜ん、どうすればいいのだ。
アップル製品は故障してもメーカ修理しようなどとは考えないほうがいいというのは常識である(冗談みたいに料金が高い)。
自分で修理してみるか。
検索してみると、このボタンはよく壊れる部分らしい。自分で修理した人もいるが、裏ぶたを開けるのがとても大変そうだ。
ホームボタンが効かないだけで、他は全く正常なのでなにか解決策があるかも。
アイコンの再配置ぶるぶるモードはロックボタンで元に戻せる。
アプリケイションはロックボタンでは無理。いちいち電源を落とすしかないのか。
そこで思いついた。このアイポッド・タッチはジェイルブレイクしてあるので、なにかいいソフトがあるんじゃないだろうか。
ありました。
SBSettingsに「Close Button Widget」というホームボタンの代わりをするソフトウェアボタンがあった。
「クローズ・ボタン」なので実際にはホームボタンの代わりというより、アプリケーションを終了させるボタンで、メールやサファリなどバックグラウンドで動くアプリケーションも終了させてしまうようなのは困りものだが、まあこれでまだしばらく延命できるだろう。
6月22日(木)曇りときどき雨
朝、曇っているが、雨は降っていない。出発。
噴火湾側から日本海側へ峠を越える。天気はよくない。日本海側の追分ソーランラインを走っているとやはり降ってきてしまった。道の駅「シェルプラザ・港」で雨宿り。何かかるく食べたいのだが、たいしたものは売っていない。途中で出たゴミを捨てたくてもゴミ箱もない。
最近は公園、店、どこへいってもゴミ箱がないことが多い。道の駅の隣に貝の博物館があって、入口にゴミ箱があったので捨てようとすると、受付のおばさんに「捨てないで」といわれてしまった。「お家に持ってかえって」というので、こんなときのために用意しておいた「東京まで持ってかえれませんよ」というちょっと意地悪な返事をしたら、おばさんは「じゃあ、こっちで捨てとくから」とごみを引き取ってくれた。
ちょっと立ち話。その前の日にも自転車で旅をしている人が博物館の裏の空き地でテントを張っていったとか。おばさんが貝の博物館を見ていくことを薦めるので、雨が止まないこともあり見ていくことにする。
日本と世界の珍しい貝などが展示してあり、3D映像なども見られる。350円。帰りには貝が数個はいったお土産用の袋までもらってしまった。
まだ雨は止んでいなかったが、先へ進むことに。博物館のおばさんによると「この先はトンネルばっかりだから大丈夫かな」とのことで、どういう意味だろうと思っていたら、ほんとにそうだった。長いトンネルが連続して続き、トンネルじゃないところよりトンネルのところの方が長いくらいだった。なかには3.6キロほどもある北海道で3番目に長いという雷電トンネルもあった。
途中でレインコートを着込み、トンネル群を抜けると岩内町にはいった。岩内町は結構立派な町で映画館まであるような町だった(ポルノ映画だけど)。岩内運動公園という表示をみつけ、そこへ向かう。
テントを張るのにいい場所はやはり芝生のある野球場なのだった。ここにもナイター設備があったが、ずっと雨が降ってたんだから今日こそは大丈夫と思って、バックネット裏あたりにテントを張ったら…。
もう、マジですか…。ぼくは北海道の人の野球好きをまだまだ全く理解していなかったようです。ここではソフトボールでした。岩内町には4部に分かれ、各6チームもある草ソフトボールリーグがあるとのこと。
もうやけくそでバックネット裏の建物に入れてもらって、1時間制のナイター試合を2試合、たっぷり見せてもらった。
(71.55km/4h17m・計1487.7km)
マックの起動時に自動的にNAS(ネットワーク接続ストレージ)にマウントする一番簡単な方法は、ログイン項目に加えることだ。
しかし、毎回マウント時にNASのウインドウが開いてしまうし、マックの起動時にすでにNASの電源が入っていてスタンバイしていなければならない。
NASには、電気節約のためにパソコンに連動して電源が入るようになっているものがあるが、仕組み上、パソコンがほぼ起動してからNASの電源が入るので、ログイン項目実行時には間に合わない。
NASの電源を入れっぱなしにするのもいや、パソコン起動時に手動でNASの電源を入れるのもいや、手動でマウントするのもいやという場合は、ログイン項目にアップルスクリプトを入れるといい。
tell application “Finder”
try
delay 120
activate
mount volume “afp://192.168.1.2/backup”
on error
quit
end try
end tell
ファインダーで、
120秒待って、
アクティヴにして、
“afp://192.168.1.2/backup” をマウントして、
エラー時は
終了
終わり
ってな感じ。
エラー時終了は、マック起動時にNASの電源を(連動ではなく)完全に切っていたときに、アラートを出さずに終了させるため。
前略、
多摩橋をくぐるとすぐに多摩中央公園(Google Map)に入ったが、ここも舗装がない。少し歩くと土手に上がる坂道から舗装が復活した。土手に上がるとカッパの銅像があった。
再びなめらかな舗装道路を滑っていき、JR五日市線の鉄橋をくぐる。このあたりからは路面がやや荒かった。
睦橋をくぐる手前で一瞬車道に出て、車道の下のトンネルをくぐると、福生南公園(Google Map)に出る。
この公園には状態のいい舗装道路がずっとついていた。
この公園を出ると福生市から昭島市に入る。
つづく
多摩中央公園に入ると舗装がなくなる。
土手に上がる坂道から舗装が復活
カッパの銅像
JR五日市線の鉄橋
睦橋
睦橋をくぐる手前で一瞬車道に出る。
福生南公園
福生南公園の出口。その先から昭島市