css3の perspective / transform / transition などを使ったマトリョーシカ。
 下のイラストのリンク先がサンプルです。
 ファイヤーフォックス17では完璧に動作する。
 ウェブキット(サファリ6、クローム24)では動作はするが、表示がおかしくなるところがある。
 あ、マック版です。
マトリョーシカ


前略、


エジプト カイロ


エジプト シーワ・オアシス



エジプト ルクソール


 
「インディ・ジョーンズ 最期の聖戦」でおなじみ


ヨルダン ペトラ


イスラエル エルサレム


シリア ダマスカスの肉屋


シリア ハマ

草々

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ミャンマーには車が多い。
ミャンマーに田舎な国を想像していった人たちは意外に都会で騒がしいミャンマーの町に驚いてしまう。ぼくのようなラオスが大好きな人間は、ミャンマーも勝手にラオスのような「なにもない田舎ないい国」ではないかと期待して行ってしまうので最初は面食らうのだ。

ミャンマーには車が多くて、そのほとんどが日本の中古車だ。
まずヤンゴンの空港に降り立ったとき(今どき珍しくタラップで滑走路に降りる)から名古屋の市バスが出迎えてくれる。広告やペイントも日本にあったときのままだ。
町を走るバスも日本各地からやってきた中古バスである。
長距離バスだと「○○観光」とボディにペイントされたままの大型の観光バスが走っている。

日本の車をミャンマーで使うには不都合な点が多々ある。
ミャンマーは「車は右側通行」で「距離はマイル表示」なのだ。
元イギリスの植民地で日本軍にも占領されたことがある国だが、なぜか右側通行(隣国タイはこれまたなぜか左側通行)で、これは右ハンドルの日本車を走らせるには不都合で長距離バスに乗っているととても怖い。運転手から前の見通しが利かないので追い越しがとても危険なのだ。
もちろん対策もなされていて長距離バスだと交代の運転手や助手がのっているので、左側の窓やドアから乗り出して前を確認する。
それから独特のウィンカーの使い方がある。
日本なら普通追い越すほうがウィンカーをつけて知らせたりするらしいが、ミャンマーでは追い越されようとしている前の車がウィンカーを出して後の車に追い越しても大丈夫だということを知らせるシステムになっているようだ。
市バスにはさらに問題があって日本の市バスは乗降口が左にしか付いていないのである。つまりミャンマーだと道の真ん中に向いてドアがついていることになり、さすがにこれでは危険だということでミャンマーの市バスは右側に無理矢理ドアを増設して使っている。

距離にマイル表示をつかっているのでスピードメーターが分かりにくいだろうと思ってミャンマー人に訊いてみたが、スピードメーターはほとんど壊れているので問題ないとのことだ。まあ、みんなかなり古い中古車なのでそれほどのスピードは出ないだろう。

日本のままのペイントで走っているのはバスだけではなく、乗用車やピックアップトラックも日本にあったままのペイントやバンパースティッカーで走っている。
ヤンゴンでは日本の自動車教習所の教習車がそのままのボディペイントと「仮免許練習中」というプレートを後ろにつけて走っていた。しかもその車はタクシーとして使われていた。仮免許のタクシーはいやだな。

以前行ったことのあるパキスタンでもそうだったが、日本語のペイントはかっこいいと見なされているようで、後から長方形で囲んだ「自家用」のへたくそな文字を書き込んだりしているものもあるし、ほとんど意味不明なものもある。
よく見かけたのが「勇者が古都にあいまみえる」とペイントしたものだ。
だれかが意味も分からずにどこかの日本語の資料からトレースした雛形が広まったということなのかもしれない。

ミャンマーのような豊かとはいえない国でなぜこんなに車が多いのかということは疑問に思っていたのだけど、あるミャンマー人に訊いてみたところミャンマーは産油国であるとわかってかなり納得がいった。
しかし車が多い割には道の整備がよくなくて、特に乾期には町中でも砂ぼこりがたち、長距離バスに乗ると着く頃には車内は砂ぼこりだらけ。体や持ち物が汚れるくらいはたいしたことないのだけれど、呼吸といっしょに体内にはいるので、ミャンマーにいる間中、のどの痛みと咳、痰には悩まされた(マスクを持っていくとよいかも。暑いからだめかな?)。
日本の中古車が入ってくる前はアメリカ軍のウィリスジープがたくさん走っていたそうで、田舎に行くともう明らかに何十年もたっているだろうと思われるのにまだけっこう現役で走っています。

最後にヤンゴンの空港の滑走路で走っている名古屋の市バスの「次止まります」ボタンはまだ使用可能であるということ付け加えさせていただく。

草々



モーテルの部屋の中は泥棒が入った後のドラマのシーンのようだった。
衣服はそこら中に投げ出ざれ、袋に入っていたものはすべて開けられ改められて中身が床に散らばっていた。バックパックは南京錠を掛けて、さらにチェーン・ロックでベッドの足につないであったのだが、バックパック自体がナイフで切り裂かれていた。

エディがすぐにモーテルのブロントに届けて、警察に違絡した。ぼくはしばらくショックでへなへなと座り込んでいたが、やがて盗まれた物を調べにかかった。この時、ぼくは愚かにもほとんどすべての貴重品を部屋に残していた。そして、そのすべてはきれいになくなっていた。犯人は荷物を念入りに調べ上げて、金目のものだけを盗み、その他の物はすべて残していた。
しばらくしてフロントでエディが話していた警察との電話が廻ってきた。詳しい状況などはすでにエディから聞いていたようなので、ぼくは盗まれたものを申告するだけでよかった。

続けて電話で旅行者用小切手の盗難届けをアメリカン・エクスプレスに出した。盗まれた現金が戻ってくることはほとんどないので諦めるしかないが、旅行者用小切手は、盗難や紛失の際には再発行ができるのだ。
クレジット・カードもない。日本の発行会社にコレクト・コールをかけ、届けを出す。最後に使用した日と場所を聞かれたが、これも日記帳で判明した。
そして何とぼくはこの時、旅券も部屋において出ていた。旅券まで盗むとは血も涙もない泥棒である。
その他、ウォークマンや腕時計、カメラなどが盗まれていた。エディの被害は現金の入ったマネー・ベルトと衣服ということだった。

ぼくは最初、事件を警察に連絡した後、彼らがモーテルに来て現場検証をするものと思って、現場の状況をなるべく崩さないようにして待っていたのだが、いつまでたっても彼らは来ず、やがてアメリカの警察はこの程度の「日常的」な「軽」犯罪ではわざわざ現場に出向いてくることはないのだということが分かった。こんな「軽」犯罪の犯人を苦労して探す時間も人材も理由もないのだろう。
報告が済んだ後、エディはちょっと出てくると言って外出し、何時間も帰らず、深夜になって帰ってきて、腹が立ってむしやくしやしたので道端で浮浪者と喧嘩してしまったといった。

次の朝、アメリカン・エクスプレスに電話をして、オフィスの場所を聞き、さらに領事館に電話し、旅券の再発行の手続きについて聞く。
シーザース・パレス・ホテルにあるアメックスのオフィスヘ。大丈夫だというのにエディが一緒に付いてきた。改めて盗まれた旅行者用小切手の番号を届け、アメリカ・ドルの小切手についてはその場で再発行された。カナダ・ドルの旅行者用小切手については、後ほどカナダのオフィスで再発行を受けてくれとのことだった。

再発行を受けた後、エディが頼みがあるといってきた。自分はお金を全部現金で持ってきていて、それをすべて盗まれてしまったから金を貸してくれというのである。
少しなら貸してやれるがと思って、いくら欲しいのかと聞くと、千数百ドル貸してほしいという。どうしてそんなにいるのかと尋ねると、すぐにイギリスに帰りたいからだという。そんな大金は貸せないといって断ると、彼はお金は必ず返す、自分のパスポートに住所が書いてある、これを写していいから、自分を信用してくれないのかと迫ってきた。
ぼくがイギリスの親に送ってもらえばいいというと、自分の親はお金を送ってくれるような親じやないと決めつけ、イギリスの領事館に行けばというと、そこでもお金は貸してくれないといい張る。
そこで、なぜ1000ドル以上も必要なのか、イギリスまでの片道はそんなにしないはずだというと、分からないというので旅行代理店に電話させて訊かせると、520ドルだったと彼はいった。今度はそれだけでいいから貸してくれと、彼はいい出したが、ぼくは彼が信用できなくなってきていたので、ほんとに航空券を買うなら一緒に代理店に行って金はぼくが直接払ってやるといった。
彼は怒りだした。これまで自分は親切にしておごってやったりしたのに、今は金を全部盗まれてしまったのだ。君は旅行者用小切手だったから再発行を受けれたんじやないかと、彼は唾を飛ぱしながら怒鳴った。

金を借りたいという男に怒鳴られる筋合いはないし、確かに彼はいくらかの金をぼくのために払ったかもしれないが、それはすべて彼のほうからいい出したもので、しかもぼくが断ったものを彼が半ば強引に自分で払ったのだ。そのことをいうと、しばらくは黙っていたが、また別の理由を考え出しながら、懐柔と怒号を繰り返しながらぼくに迫った。

その日一日続いたいい争いの末、結局、ぼくは再発行されたばかりの旅行者用小切手の中から200ドルをカジノで換金して(旅券がないので両替所では換金できない)彼にくれてやった。
ぼくは200ドル捨てたことよいいいが終わったことにせいせいしていた。その後、二度と彼と会うことはなかった…。

次の日、ぼくは最初に泊まっていた安宿の部屋で目覚めた。
前の晩、エディと別れた後、モーテルの親父に礼をいって、切り裂かれたバックパックに荷物を包み、それを胸に抱えて再びそこに戻ってきたのだ。
まずは新しいバックパックを買わなければ移動できないのだが、ここはギャンブルの街、ラス・ヴェガスである。そんなアウトドア用品を売っている店は見つからなかったので、衣料雑貨店のウールワースで頑丈そうな手提げ鞄を買い、それで間に合わせることにした。

警察署へ事件の報告書を取りに行く。海外旅行者保険の保険金の請求や旅券の再発行に必要なのだ。この手の「軽」犯罪事件で被害者のために警察がしてくれることといえば、唯一これだけである。有料、5ドル。

これでもうこの街には用はない。バスの時刻表を見ると夕方発のロサンゼルス行があった。そこで乗り継げば領事館のあるサン・フランシスコに行ける(ロスにも領事館があるのだが知らなかった)。宿に帰って新しく買った鞄に荷物を詰めた。鞄は少し小さかったが、減った荷物にはちょうどよかった。ぼくはぴかぴかの鞄とぼろぼろの心を抱えてラス・ヴェガスを去った。


つづく


6月21日(火)雨ときどき曇り
 夜降っていた雨は朝起きたときには止んでいたが、テントから出て外を見たら降っていないだけで真っ黒な雲が空を覆っていたので出発しないことにする。
 昼過ぎからはやはり再び雨が降ってきた。ごはんを作り、食べ、お茶を飲み、雨読(ロアルド・ダール)する。
(0km/0h00m・計1416.2km)


前略、

 東京外国語大学の大学祭「外語祭」へ行った。
 外国語大学なので民族色豊かな催し物が多い。屋外では民族料理の模擬店、屋内では民族音楽、舞踊、そして外国語劇。
 料理は、チェコのグラーシュ(シチュー)、フィリピンのお粥(名前忘れた)、ギョーザ、ピロシキなど食べ(日本人学生が作っているので味はまあそこそこ)、外国語劇はインド公演もしたというウルドゥ語劇を観た(字幕あり)、写真はベリーダンス部による悩殺舞踏(200円なり)。11月23日まで。

草々


前略、


ビリニュスから日帰りでカウナスに行った時にソ連製のカメラを買った。
ラス・ヴェガスの盗難事件で日本から持っていっていたカメラはなくなってしまい、その後ドイツで日本製のコンパクト・カメラを買うまでのあいだはQuickSnap(写ルンです)を使っていた。
カウナスにあったカメラ屋さんをのぞくととても安かったのでもう1台ほしくなった。ロシア製の有名なゼニットの金属ボディの重い一眼レフカメラでも2500タローナス(600円ちょっと)ぐらいからあり、コンパクト・カメラならもっと安かった。白黒フィルムなどは10円もしない。
重い一眼レフは長旅の邪魔なので、プラスチックのボディでハーフ・フレイムのピントも絞りもマニュアルの物を買った。安くてもちゃんと写り、この後の旅の間ずっと愛用した。このウェブログにアップしている写真のなかにもこのカメラで撮ったものがたくさんある。

この「АГАТ(アガット)18K」というカメラ、帰国してからはほったらかしだったのだが、ネットで調べてみると意外とたくさんのサイトがあっていろいろと情報が分かった。
このカメラはBelOMOというロシアではなくベラルーシ(リトアニアの隣国)の会社の製品で、安い割にはなかなかいいレンズをつけているそうだ。
日本でもネットなどを通じて5000円ほどで買うことができるようだ。ぼくがカウナスで買った値段は900タローナス(約200円)だったけど。

草々


前略、

外来語の反乱が指摘され始めて、すでにかなりの年月が経ちます。これまで指摘を受けてきたその反乱軍の主力はほとんどが英語でしたが、最近になってフランス語やスペイン語、イタリア語なども増えてきているようです。これは商品名などに特に多いことから、英語に手垢がつきはじめ、新鮮さやかっこよさが失われてきた結果ではないかと考えられます。
「チョッキ」と呼ばれていたものが「ヴェスト」(vest/英)と呼ばれるようになってもうかなりになりますし、「ジャンパー」(jumper/英)と呼ばれていたものは、今では「ブルゾン」(blouson/仏)と呼ばれています(正確には全く同じものではないようですが)。

今、使った「チョッキ」という言葉ですが、何語だと思いますか。固有の日本語ではなく外来語くさいというのはカタカナで書くことからも推測できますし、英語ではなさそうだというのも分かりますが、昨日今日出てきたはやりもの外来語ではなく、完全に日本語になじんでしまっているので何語なのか、語源は何なのかなどということがほとんど意識されなくなっているのです。
ちなみに、「チョッキ」というのは、ポルトガル語のjaqueが訛ったもので、上着という意味です。
今回はこのような日本語になじんでしまって元が分からなくなっている外来語や、意外な国からきている外来語を紹介します。

外来語を少し調べてみると、日本語になじんだ外来語というのは、英語からのものは非常に少なく、いくつかの特定の国からきたものが多いことが分かります。それらの国は早くから日本と接触があったため、その言葉は長い時間をかけて日本になじんでいったのです。
それらの国というのは、先程の「チョッキ」の語源の国であり、キリスト教の布教にかけてはどこの国にも負けなかったポルトガルと鎖国の江戸時代の中での数少ない接触相手だったオランダです。
まずは、ポルトガル語起源の外来語から見ていきましょう。(以降に出てくる単語の読みはあまり信用しないでください)

カルタ(歌留多) carta[カルタ] 手紙、トランプ。英語のcard。
カッパ(合羽) capa[カパ] マント、カバー
コンペイトー confeito[コンフェイトー] 砂糖菓子
ビードロ vidro[ヴィドロ] ガラス
「ピンからキリまで」の…
ピン pinta[ピンタ] 小さな点。英語のpoint。
キリ cruz[クルス] 十字架
「このアマ、ふざけやがって!」の…
アマ ama[アマ] 乳母
シャボン sabao[サボン] 石鹸
じゅばん(襦袢) gibao[ジバン] 胴衣、上衣
チャルメラ charamela[シャラメラ] 木管楽器の一種
バッテラ bateira[バテイラ] 舟、ボート。舟型の入れ物に入れて作るから。
ボーロ bolo[ボル] 球、ケーキ
ボタン(釦)botao[ボタン]  ボタン、芽、つぼみ

他にはジョーロや天麩羅などもポルトガル語起源なのですが、語源である単語が定まっておらず、いくつかの説があるようです。外来語なのに漢字で書ける単語が多いというのは、中国経由の外来語以外では他にあまり例を見ません。ポルトガル起源の外来語の馴染み具合、古さが感じられます。


次はオランダ語からの外来語です。

カラン kraan[クラーン] 栓、蛇口
ゴム gom[ゴム] ゴム
コップ kop[コップ] コップ、頭部
スコップ schop[スホップ] スコップ、シャベル。ちなみに、シャベルはshovelで英語。
ズック doek[ドゥーク] 織物
「博多ドンタク」の…
ドンタク zontag[ゾンタフ] 日曜日。だから、半分休みの土曜日は、半分日曜→半分ドンタク→半ドン
ビール bier[ビール] ビール
ピント brandpunt[ブラントプント] 焦点。英語ではfocus
ポン酢 pons[ポンス] 橙などの柑橘類の絞り汁、パンチ(現地ですでに死語となっている)。
パンチとは飲み物、「赤玉パンチ」のパンチ(これもほぼ死語ですね)。パンチのほうの語源は、茶、アラク、砂糖、レモン、水の五種のものを混合したインドのカクテルの名前で、ヒンディ語の「5」を意味するpanch からきている。
マドロス matroos[マートロース] 船員
メス mes[メス] ナイフ、小刀
ランドセル ransel[ランセル] 背嚢、ナップサック
カルキ kalk[カルク] 石灰
ブリキ blik[ブリク] ブリキ
レッテル letter[レテル] 文字
ポマード pommade[ポマード] ポマード

日本語に馴染んでるといえば、やはり以上の二カ国の言葉が多く、以下に紹介する国の外来語は、外来語臭さが抜けきっていないものも多いですが、意外な感じがするものも多いはずです。

つづく

草々


 このソ連の旅は例外でぼくの旅のスタイルはだいたい安宿に泊まり歩くというもので、宿を予約したという経験もこのときだけだ。
 西ヨーロッパや 北米を旅したときに泊まっていたのはほとんどがユース・ホステルだった。これらの地域でユース・ホステルがなければ同じ予算で行けるとこ ろはかなり限られたものになってしまうだろう。だいたいがキッチンの設備があるので自炊できる。西ヨーロッパや北米ではほとんど自炊して食事していたた め、各地の名物料理というのをあまり食べられなかったのは残念といえば残念なのだが、レストランに行っていればすぐに旅費がなくなってしまって行きたいと ころにも行けなくなってしまったはずなのでこれはあきらめるしかない。
 ユース・ホステルはだいたい似たようなところが多いのだが、中にはちょっと変わったところがあって、例えばスウェーデンのストックホルムの港には船のユース・ホステルがある。もちろんもう船としては使用していないのだが、中を改造して泊まれるようにしてある。
 カナダのニュー・ブランズウィック州、キャンベルトンには灯台のユース・ホステルがある。現役で現在も使用されている灯台と同じ棟にユース・ホステルがあるのだが、現役の灯台ということで中に入ったり、上ったりはできないのであまり意味はないのだが。
 ぼくが今までに泊まったユース・ホステルで一番の変わり種は同じくカナダのオタワのユース・ホステルで、ここは元監獄の宿である。
  中には鉄格子のついた手を広げれば届くほどの幅の狭い独房が並んでいる。その独房を隔てている壁を二つ三つぶち抜いて広げた部屋に二段ベッドが二、三台 入っていて、そこに寝泊まりする。並んだ鉄格子の扉のひとつが開いていてお客はそこから出入りする。鉄製の扉を開け閉めするたびに扉はきしみ音を立てて閉 まりそれが通路に響く。建物の上には昔使っていた公開絞首刑台があり、縄の輪っかも付けてある。
 そのユース・ホステルに入所して監房で寝ころん でいるうちに気がついた。ここは独房二つまたは三つ分のスペースに二段ベッドが二つまたは三つ入ってい る。つまり昔は囚人が二、三人しか入っていなかったところに今はその倍の四人から六人を泊めているのだ。我々の扱いは囚人以下なのか! しかもお金まで 払っているのだ。
 週に数度、一般の人も参加できる無料の所内観光ツアーが行われる。監房の鉄格子は昔のままで通路から中は丸見えなので一般の観光客がぞろぞろと通路を通って我々収監者を見学していく。
  お化けが出るといわれている監房もあって、そこに一晩泊まると次の日はただで泊まれるらしい。お化けの監房はともかく普通の監房でも気持ちが悪いといっ てすぐに出所していく人もいた。鉄格子のきしむ音などはあまり気持ちのいいものではないし、想像力豊かな人は昔同じ場所にいた囚人のことなどを考えてしま うのかもしれない。ぼくは面白くて気に入ったのでオタワではずっと厄介になっていた。

つづく
 


前略、

 アメリカのガーミンという会社がちっちゃなGPSデバイスを作って売っていることは前から知っていた。なかなか楽しそうなおもちゃなのだが、今一歩のところで手が出なかった。なぜなら…。

 けっこう高い。何だか知らないが、高いのだ。日本語版とかいうのだとさらに高い。パソコンにつなぐコードがなぜか別売りでまた高い。このコードが今どきRS-232Cの端子で、USBにつなぐには高い変換コードがまだ必要だったりする。さらに、自転車に載せようとすると取り付け器具がまた高かったりする。
 そして、ぼくの使っているマッキントッシュの対応が弱い。ウィンドウズのGPS界ではデファクト・スタンダードにして万能なフリー地図ソフトの「カシミール3D」にあたるものが、マックにはない。ウィンドウズな人たちにとってカシミールのないGPS生活が考えられるだろうか。

 そんなわけで二の足を踏んでいたのだが、ひさびさにGPS界の情報に触れてみたところ、知らない間になんだか新しい風が吹きはじめていた。
 まずソフトに、カシミールのない穴を埋めるとはとてもいえないけれど、使えるものが出てきていた。
 ご存じ、グーグルグーグルマップグーグルアース、そしてMotion Basedだ。グーグルのほうは説明不要だろう。Motion Basedはガーミンの一部門で、GPSのデータをウェブ上で保存してグラフィカルに処理するサービスをしている(詳細はそのうちに)。
 これらのサービスがマック対応になり、無料で(有料版もあり)使えるようになり、敷居がぐぐっと低くなった。

 そして本家ガーミンがやっとのことUSBで直接つながる新製品を作りはじめた。
 まず目を引いたのは、Forerunner 305。ランナーのためのGPSで、なんと腕時計型だ。オプションで心拍計や自転車のケイデンスも計れるという。
 そしてEdge205/305。こちらは自転車乗りのためのGPS。iPodほどの大きさだ。
 どちらも以前のものより性能がよくなり、接続コードは当然のこと同梱で、自転車用のEdgeは自転車用の取り付け器具も付いている。

 こうなると最後に超えなければならないハードルは値段だけなのだが、こいつだけはあいかわらず高いのだった。

 日本では…。

 これらの製品はアメリカ本国では日本に比べかなり安くで売っているのだ。アメリカでは日本の電気製品だって日本より安く売っていたりするのだから、まあ当たり前といえるが、問題はどのくらい安いのかということだ。
 Forerunner 305は、日本で5万円強、本国では250ドル程度。Edge205/305は、日本で3万6000円/4万4000円ほど、本国では150ドル/240ドル程度。
 地図も表示できるような他の上位機種では、日本の輸入代理店は日本語版と称して日本の地図を入れたり、日本語を表示できるようにしたりしているものもあるが、これらの機種では製品は全く同じで、日本語のマニュアルがついている程度だ。それなのにほとんど倍近い値段はちょっと納得がいかない。

 ああ、ありがとうインターネット! 簡単に外国の通販が利用できるなんて。
 Amazon.comは電気製品の海外への販売をしていないそうなので、それなりに信用できそうな世界最大のオークションサイトebayの販売店が出品している即決販売で買うことにした。
 新規登録をしようとしたらIDがすでに使われていて、以前ebayがしばらくのあいだ日本に進出していたときに登録をしていたことを思い出した。昔のパスワードを思い出してログイン。送金サービスのPayPalにも登録した。
 考えた末、Edge205を買うことにした(心拍計なんか面倒くさくなって使わなくなるに決まっている)。海外発送してくれるところはたくさんはないが、少なくもない。だいたいが航空便なので送料が40〜50ドル以上はかかるが、それでも200ドル程度だった。日本で買うより1万円以上安いのだ。

 まあ、それも海外から正しい商品がこわれもせず、待たされもせずにちゃんと手元に届けばの話なんですけどね。まだ、商品は手元に届いてないので、そもそもそのガーミンのGPSってなんだよ、というようなレポートはまたそのうちに(ちゃんと届いたら…)。

草々


6月15日(つづき)
 出発。そのまま、太平洋側を北上。昼になっても濃霧は全く晴れず、霧雨に近く、じっとしていれば霧なのだが、走り出すと体中べっちょりと濡れてしまう。
 六ケ所村に入り、原子力発電所などが続く。一年中、こんな天気ではないだろうが、原発などがかたまってある理由がわかったような気がした。
 キャンプできるようなところも見つからないので前に進むしかなかった。風まで強くなってきて、もう最悪の状態。
 疲れてしまって、もうどこでもいいって感じで、海岸に入っていってテントを張る。朝から何も食べてなかったので、飯を炊きカレーライスを作る。風は強くなっていた。
 カレーライスを食べていたら、強い突風が吹いた瞬間、テントが体にぶち当たってきた!
 テントを地面に固定してあるペグがはずれ、テントが突風にあおられて飛ばされそうになっていた。地面がやや固い砂浜程度のところだったのでペグがはずれやすかったのだ。
 テントの中に荷物と自分がいて重しになっているので、その場になんとかとどまっている状態。テントの中から必死になって押さえるが、そんなことをしたからどうなるものでもない。風は治まる様子がないからこの状態から再びテントを元に建て直すのは完全に無理だった。
 とりあえずテントの中の荷物をまとめ、外へ出て、ポールをばらして、フライシートが飛ばされないように注意しながら、なんとかテントをひとまとめにする。ここで何かが飛ばされてしまったらもう取り戻すことはできない。
 とりあえず抱えられる荷物を持って、村の方へ走る。強風の吹く中、たまたま歩いているおじさんがいて、この村に民宿があるかどうか訊ねる。宿がないとかなり絶体絶命だ。天気予報では夜から雨が降るといっていた。
 あるというので、場所を聞き、そこへ向かう。民宿に着く、部屋は空いているという。料金を聞き、一切値切らずに投宿する。もう一度、往復して残りの荷物と自転車を回収して、やっと一息ついた。
 熱い風呂に入り、洗濯をする。ラジオが東北北部も梅雨入りしたことを伝えていた。ひさしぶりにふとんで眠った。
(88.52km/5h20m・計1181.2km)


前略、

新聞によると、イラクで誘拐された日本人はヨルダンのアンマンからバスでバグダッドに行ったそうです。
アンマンで泊まっていたのは「クリフ・ホテル」。あぁ…。
アンマンではバックパッカー御用達の有名安宿で、ぼくも泊まっていました。
当時一泊2.5ヨルダン・ディナール(US$3.5ほど)で、ベッドが南京虫だらけで全く眠れなかったのをよく憶えています。
ヨルダンの前にはイスラエルに滞在していたそうですが、なんかイスラエルのものを持ってイラクに入ってイラク人過激派の怒りの炎に油を注いでいないか心配です。
実はぼくもイラン(イラクに行ったことはありません)の入国の時にイスラエルの絵はがき(イスラエルで会った人がメッセージを書いてくれたものなので捨てられなかった)をみつけられてあせった記憶があります。その時はその係官は絵はがきがイスラエルのものだとわからなかったらしく(岩のドームの絵はがきだった)、速攻で話をそらして事無きを得ました。

ま、それだけなんですけど…。

草々




 アイポッド・タッチのメモのフォントは、英数字が Marker Felt という手書き風太字になっている。メモというユーザーインターフェイスに合わせてそうなっているのだが、日本語はふつうのゴシック体になってしまうので親和性がなく読みにくい。この英数字のフォントは変更できないのだろうか。
 探してみると、Marker Felt フォントを削除してしまうという強引な方法もあった(するとフォントが Arial になるらしい。試してません)のだが、もうちょっと穏当な方法は…。

THE ROAD AHEAD v.3.0 » [iPhone]Notesのフォントを変更
iPhoneのMobileNotes改造 – べるべる研究日誌

 ヘックスエディターが必要ですが、できました。




 関西在住者にはなつかしい「びわ湖タワーへ行こう!」のテレビコマーシャル。
 ついにたどりついたらつぶれていた。
 元世界一の観覧車は錆びていた。

びわ湖タワー – Wikipedia


前略、

ポルトガル語、オランダ語起源の外来語に続き、ドイツからのものを紹介します。

ゼッケン Zeichen[ツァイヒェン] 合図、目印、記号
ドーラン Dohran[ドーラン] ドーランを作っている会社名
ボンベ Bombe[ボンベ] ボンベ、爆弾
ガーゼ Gaze[ガーゼ] ガーゼ。これはパレスチナのガザ地区のGazaが語源。
ギブス/ギプス Gips[ギプス] 石膏、ギプス
ルンペン Lumpen[ルンペン] ぼろ着
ワッペン Wappen[ヴァペン] 紋章
ザック Sack[ザク] 袋
ヤッケ Jacke[ヤケ] 上着

このほかにも、医療、登山、スキー用語はドイツ語の独擅場です。


ほかのヨーロッパからではフランスとロシアからのものがいくつかあります。

まず、フランス語から。
バリカン Barriquand et Marre[バリカン・エ・マール] 製造会社の名前
ズボン jupon[ジュポン] ペチコート。なぜペチコートがズボンになったのでしょう
綱引きをするときのかけ声の「オー・エス」の…
エス hisses[イス] 動詞hisser(引き上げる、持ち上げる)の命令形
アンツーカー en-tout-cas[アン・トゥ・カ] 全ての状況で。英語に当てはめるとin-all-case。

つぎにロシア語。
イクラ икра[イクラ] 魚卵
カンパ кампания за сбор денег[カンパニヤ〜] 募金運動
アジト агитпункт[アジトプンクト] 扇動本部
セイウチ сивуч[セヴチ] とど。ロシア語のセイウチはまた別の語らしい
トーチカ огневая точка[オグネヴァヤ・トーチカ] 火力の拠点

さすが共産主義育ての親の国といった語が見受けられます。


ヨーロッパからの最後のおまけとして英語からの意外な外来語を少し。

ジョッキ jug[ジャグ] ジョッキ
ズロース drawers[ドローワーズ] パンツ、ブリーフ
ハツ(焼き肉)hearts[ハーツ] 心臓
ゴロ grounder[グラウンダー] ゴロ。ゴロゴロだからじゃないんですね。
チック cosmetic[コスメティック] 化粧品
ワイシャツ white shirt[ホワイト・シャート] 白いシャツ。白くないものはワイシャツじゃないということ。「Y」シャツではないのだ。
ポチ spottie[スポッティー] 斑点のある。ポチが外国の名前だなんて、知ってましたか。

これまでの外来語は全てヨーロッパからのものでしたが、ヨーロッパ語以外の外来語も数はそれほど多くはありませんが、もちろんあります。
いくつか紹介しますが、中国からの言葉は日本にとって外来語とはいいがたいので意外な感のあるものだけを取り上げます。

シェルパ sher-pa(チベット語) 東部の人
カボチャ Camboja(ポルトガル語) カンボジア
キセル khsier(カンボジア語) 管
カーキ khaki(ヒンディ語) 土色の、ほこりっぽい。
ジパング 日本国(中国語) 日本。当時の「日本国」中国語読みjihpunkuoがマルコポーロによりジパングと紹介され、後にジャパンになった。
カバン 夾板(中国語) 箱
パッチ (朝鮮語) ズボン
チョンガー (朝鮮語) 独身男性
旦那 dana(サンスクリット語) 施し(する人)。サンスクリット語起源の仏教用語は中国経由でたくさんはいっているのでほかは取り上げません。
アルカリ al-qaliy(アラビア語) 焼いた灰
アルコール al-kohl(アラビア語) コール炭
そ の昔、アラビアでは天文学や科学(錬金術)が発達した時期があり、それらの進んだ言葉がヨーロッパに輸入されました。alはアラビア語の定冠詞、英語の theと同じで、アルタイル(al-tahil/飛ぶもの、鳥)やアルコーブ、アラー(al-ilah/the god)、アルファルファ(al-fasfasa/良質のかいば)、錬金術(アルケミー)、代数(アルジェブラ)も同じです。

そのアラビアにある袖の長い上着にjubbaと呼ばれるものがあるそうです。このjubba、実はたくさんの日本語の外来語の語源となっています。
アラビア語jubbaは、英国経由でjumper→ジャンパーとなり、フランスに入ってjupon→ズボンとなり、ポルトガルのgibaoを通って襦袢(じゅばん)となっていったのです。
 同じように、最初に紹介したチョッキ(jaque)も、ヤッケ(Jacke)やジャケット(jacket)と同じルーツを持っているということは、そのものの形態と綴りを見ていただければ分かっていただけると思います。

  日本に入ってきた外来語だけ見ても世界の言葉の不思議なつながりが感じられたのではないでしょうか。今回紹介したのは、いわゆる借用語(loan word)と呼ばれるものがほとんどですが、世界の言葉には単語の貸し借りだけでないもっと深い言語の根元までに至るつながりがあります。

草々


前略、

 一泊で出るゴミ用の小さなビニール袋は持っといたほうがいいな。

 荷物は使用状況別にパッキングしたほうがいいな。「テントの中で使うもの」(目覚まし時計、日誌、ラジオ、ヘッドランプ、本など)とかね。

 自転車で長距離走るとやっぱりお尻が痛い。カナダで走ったときもお尻にできものができてしまった。サドルもけっこういいやつでパッドが入っているけど痛い。パッド入りパンツを買ったほうがいいな。でもあのぴっちりパンツはいやだからインナーパンツにしてズボンの下にはこう。

 カメラはフィルムかデジタルか、悩みに悩み、一時は充電やデータのバックアップのことを心配しなくていいフィルムカメラにしようと決定していたのだが、やっぱりちょっとでも荷物を少なくするためデジタルにすることにした。替えのバッテリーをひとつ買い足したのでこれでなんとかしよう。

 石油製品の服はあまり好きではないのだが、速乾素材の服はやはりいいね。いまはユニクロでも売ってるから便利。モーターバイクとバイク(自転車)の違いは、速く走れば走るほどモーターバイクは寒くなるけど、バイクは暑くなること。どうせ石油を使うならぼくは服のほうにしておこう。

草々


前略、


 このカメラを買うのは二度目。
 1990年に最初の海外旅行に出た時に、最初の滞在地の香港(のうさんくさいカメラ屋)で購入(YASHIKAブランドだった)して、その後の7ヵ月半の旅の間、撮りまくった。
 オートフォーカスのコンパクトカメラだが、一眼レフ方式なのでファインダーで見たままが撮れる。縦型でフィルムも縦送り、ハーフフレイムなので36枚撮りのフィルムで72枚以上撮れる。当時、海外ではこのサイズでこの形のカメラは珍しがられた。
 そして、1992年、二度目の長期旅行に出発し、最初の滞在国アメリカで盗難に遭い、どこかへ消えてしまった(そのばかみたいな顛末はこちらで)。
 その後はペンタックスの普通のコンパクトカメラを買って、こいつは盗まれることもなく数十ヵ国で働いてくれて、今も使っている。
 それでもこのユニークなカメラは常に気になっていて、ヤフー・オークションをのぞいては、やや高すぎる落札価格に手が出ないでいた。
 そんなとき、新宿で行われたフリー・マーケットでワゴンにぽつんと置かれたこのカメラを発見した。電池切れのために動作確認ができないが、ソフトケース付きで状態はきれいだった。店主にちゃんと動くかどうか訊いてみると、すぐに「もちろん」という答えが返ってきたが、店主はプロの中古品売買業者のようで、このカメラの持ち主ではなく、電池の切れたこのカメラが動いているのを見たことがないのは明白だった。
 3500円だという。こういう場合は安いことが逆に不安材料になる。2500円まで値切って買った。
 帰りに電池を買う。1000円ちょっとした…。
 家に帰って動作を確かめてみると、レンズにくもりもなく、一応動いたが、最初はボタンの接触が悪くて、押してもシャッターがおりなかったりしたので、やっぱり不良品をつかまされたのかとあせったが、その後数日、何度もシャッターを切っていると、なぜかちゃんと動作するようになった。
 外観にはほとんど傷らしい傷もなく、もう何年も使われていなかったのかもしれず、ずっと吹きさらしのワゴンなどに置かれていて、ちゃんと動くようになるまでには慣らし運転が必要だったのかもしれない。
 まだフィルムを入れて撮影をしていないのだが、これはお買い得だったかな。

草々