5月15日
大雪…。しかも、吹雪いている。多少の天気の崩れは問題ないが、こんなに崩れてしまってはとても自転車では出発できない。どうしよう…。
宿の管理人に、ベッドがなければキッチンの床でもいいから泊めてくれないかと頼むと、彼は承諾してくれた。これで宿の問題はなくなったが、まだ大きな問題があった。その日の昼の食事で、わずかに残った半人前ほどのスパゲティを食べて、ぼくの食料は底を着いてしまった。
そして夕方に高校生ぐらいの団体が自転車でやってきた。自転車でのツーリングを専門にしている会社が引率していて、屋根に自転車を載せて運べるようになっている大型のバスが伴走してきている。今日は自転車ではなくそれに乗ってきたのだろう。なにしろ、ユース・ホステルを予約してきているのだから予定が決まっているに違いない。
彼らは早速、夕食を作り出した。20人ほどのグループなのだが、食事係が全員の食事を作るのではなく、数人ずつがそれぞれ自分たちの好きな料理を作って食べているのが個人主義の国らしい。
キッチンに座って誰かが、「余ったから食べない?」といってくれないかと待っていたのだが、彼らもこのところは毎日自転車に乗ってきているので腹が空いているのか、ほとんど残さずに食べている。人が食べようとしているものを横取りする度胸はぼくにはなかった。
ほとんどみんなが食べ終わって、あきらめかけていたところへ、さらに同じ団体の2人の若者がやってきて夕食を作り出した。彼らは自分たちのたった2人分の食事なのに、1袋900グラム入りのスパゲティ(5〜6人分はある)を鍋に全部、放り込んで茹でてしまった愚か者…、いや、天使のようなお坊ちゃまだった。
もちろん、彼らはスパゲティを山のように残した。そしてぼくは彼らが食べ物を粗末にするを見るのは忍び難かったので、声を掛けて残りのスパゲティを処分してあげた。
神様ありがとう。
5月16日
晴れ。もう食べるものは何にもないので、朝食抜きで早速出発する。
しばらく行くとアサバスカ氷河に着く。ここもカナディアン・ロッキーの目玉のひとつで巨大な氷河がハイウェイのすぐ近くに口を開けている。
見た目にはすぐ近くに見えるが、氷河はいくら歩いても近づいてこない。あまりに大きいので距離間がつかめないのだ。氷河の前に置かれた車が米粒のように小さく見えるので、まだまだ遠くにあることが分かる。
氷河の爪先まで来て、さらに氷河を登る。まだ午前中だったので人も少なく、雪の降った次の日だったので、氷河の4分の1あたりまで上ってくるとまだ足跡の全く付いていないところに入っていった。さらに新雪を踏み締めながら3分の2ほどのところに来た時、ぼくは突然バランスをくずして雪の中に倒れ込んだ。雪の下の氷河が割れて穴があき、右足が腿まではまり込んでしまったのだ。薄くなって割れた氷河の下には冷たい水がたまっていた。あわてて足を引き抜いたが膝まで濡れてしまった。
まわりには誰もおらず、氷河の上のほうの付け根には17ドル出してスノーモービルに乗ってそこまで行った人たちの姿が小さく見えていた。
ここまでは意気揚々と登ってきていたのに、雪の下の氷が意外に薄く、しかもその下に水がたまっているのが分かると、ぼくの想像力は途端に否定的に働き始めた。
さらに進み、今度は氷が大きく割れ、体がすっぽりはまり込んでしまう穴に落ち、誰にも気づかれないまま、氷の下の冷水の中であっという間に体が麻痺し、そのまま窒息死し、そのうちにぼくの体は氷河の下で冷凍されてしまうのだ。
氷河の爪先まが3キロ、氷河が1日に30センチ流れるとすると、氷河の爪先の氷が解けてぼくの事故当時のままの死体が見つけ出されるのは約30年後ということになる…。
いくら30年後でも冷凍保存の死体を蘇生する技術はないだろう。
とにかく、ぼくはそこから先へ進む気がしなくなってしまい、そのまま真横に進路を変え、スノーモービルの道から元へと帰ることにした。
その後は、このところのパスタ攻撃(この5日間は1日最低1回は食べていた)で悲惨な目にあっているぼくの体をいたわるため、氷河の向かいにあるカフェテリアでステーキを食べた。
さらに進んでビューティ・クリークへ。
ここのユース・ホステルはビューティ・クリークの名の通り、サンワプタ川の広い広い河原のとても美しい場所にある。
つづく